日本一の奇跡、清流仁淀川。そして悲運の武将、武田勝頼が眠る地を巡る旅の駅

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0889-20-2003

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武田勝頼土佐の会の発足

 名だたる戦国武将・武田信玄の四男である甲斐武田家20代当主「武田勝頼」は、定説では天正10年(西暦1582年)天目山で自害したとされています。しかし、高知県吾川郡仁淀川町に残る勝頼土佐落人伝説では、武田勝頼は織田軍からの敗走後、当時の土佐の武将・香宗我部氏を頼ってこの土佐に落ちのび、その後、この大崎村川井(現仁淀川町大崎)に入り、以後、名前を「大崎玄蕃(おおさきげんば)」と変名し、この地で25年ほど活躍し、慶長14年(西暦1609年)8月25日64歳で逝去され、鳴玉神社に葬ると記録(仁淀川町及び佐川町に残る武田家系図に記載)があります。

武田家系図(上記はすべて写しである)
武田家系図(上記はすべて写しである)

 「武田勝頼土佐の会」は、土佐(高知県)における武田家系図の記載内容と当地等に言い伝えられ残された史跡等含むそれら“武田勝頼落人伝説”に基づき、2009年8月に武田勝頼が没後400年を迎えることからこれを記念するイベント企画をきっかけに、地域の有志があつまり、2008年10月に発足した会である。この地域に残された勝頼伝説をもとにその歴史ミステリーとロマンを追求しながら、地域活性化を目的に活動を開始しました。

 また、この伝説により当地で伝えられてきた「玄蕃踊り」(元蕃踊り保存会)や「玄蕃太鼓」(玄蕃太鼓振興会)、ならびに仁淀川町内や仁淀川流域団体とも連携し、地域を元気に盛り上げていく活動等を行っていきます。

伝説地・勝頼公の墓所
伝説地・勝頼公の墓所
(仁淀川町大崎地区にひっそりとたたずむ鳴玉神社)
勝頼伝説イベントの検討会の様子
勝頼伝説イベントの検討会の様子
(武田勝頼土佐の会結成 2008年当時)