日本一の奇跡、清流仁淀川。そして悲運の武将、武田勝頼が眠る地を巡る旅の駅

観光ガイドと地味噌うどんの店

うどん茶屋かつより

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0889-20-2003

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定休日  日曜祝日・12/29~1/3

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仁淀川町に残る武田勝頼史跡

 名だたる戦国武将・武田信玄の4男である甲斐武田家20代当主「武田勝頼」。勝頼は、定説では天正10年(西暦1582年)天目山で自害したとされております。ですが、高知県吾川郡仁淀川町に残る影武者説では、武田勝頼は織田軍からの敗走後、当時の土佐の武将・香宗我部氏を頼ってこの土佐に落ちのびたという事です。

 その後、この大崎村川井(現仁淀川町大崎)に入り、以後、名前を「大崎玄蕃(おおさきげんば)」と変名し、この地で25年ほど活躍し、慶長14年(西暦1609年)8月25日64歳で逝去されました。仁淀川町内にある主な武田勝頼ゆかりの地を紹介します。