日本一の奇跡、清流仁淀川。そして悲運の武将、武田勝頼が眠る地を巡る旅の駅

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0889-20-2003

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◆観音堂と観音像と勝頼次男・正晴墓所

仁淀川町寺村の観音堂(流光山成福寺跡地)
仁淀川町寺村の観音堂(流光山成福寺跡地)

 系図に記載されている同町寺村地区に勝頼が建立し、武田勝頼の菩提寺とされる流光山成福寺(跡)には、観音堂(江戸期建立)と聖観音立像(平安時代)【町指定文化財】が現存しています。本堂は成福寺の跡に建っているとされ、寛永15年(1638)観音堂を修理した旨の古い棟札が残されています。
 この地は長宗我部氏の家臣である片岡氏の治める土地でありました。そこへ勝頼は武田家の菩提寺として寺を建立します。平成21には諏訪・観音院の中島住職が来られて、新たな視点から寺の重要性を考えており、今後も研究する必要はありますが、諏訪の復興を願っていた勝頼らしく、母君の寺を思い起こす寺名や厨子などなど興味の絶えないお寺です。またここから見た仁淀川の風景が諏訪の観音院から見た諏訪湖の風景に似ていると仰られた中島住職はおっしゃられました。
 また武田家系図に示されている場所で、寺村地区の観音堂の北側の道路の上段にひっそりと武田勝頼の参男、正晴の墓所がある。左には稲荷神社、右には秋葉神社が祀られており、その中央に石の積まれた場所が武田正晴の墓です。大崎地区の勝頼の墓所もおなじような石を積んだ墓となっている。

聖観音立像
聖観音立像
(像高76cm 平安時代1100年代)
武田勝頼・参男の正晴の墓所
武田勝頼・参男の正晴の墓所
(同町寺村地区)