日本一の奇跡、清流仁淀川。そして悲運の武将、武田勝頼が眠る地を巡る旅の駅

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0889-20-2003

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◆宿毛市平田寺山にある武田と縁のお寺延光寺

 平田寺山にある赤亀山寺山院延光寺39番札所。勝頼の三男正晴が養子に行った所、大崎に祠がある巨勢金岡作の笑い不動の伝説が残されて今も祀られている。

 一方、江戸時代初期の謎がある。土佐藩内で大規模な農地開発等の土木事業などの手腕で土佐藩を牽引した執政・野中兼山はその専制政治が内外の反発に会い、失脚・死亡(死因は不明)し、一族は宿毛に幽閉され、側室・池きさや娘の婉らは40年近く幽閉され、野中家はついに男系が絶えた。土佐藩(幕府?)のこの仕打ちは異常な程であった。池きさの子供のうちのひとり「婉(えん)」は幽閉が解かれた後、医者として有名で大原富枝の小説「婉という女」で描かれた。野中兼山の死因も長きにわたる一族幽閉の罰も現代まで謎である。

 池きさは、勝頼の孫・勝正の妻だった。出身は池頼勝の娘である。夫・勝正死後、池氏に帰り、のちに野中家に奉公に入り、娘の兼姫も谷氏に奉公に入る。

「笑い不動」のある赤亀山寺山院延光寺39番札所
「笑い不動」のある赤亀山寺山院延光寺39番札所
(宿毛市平田)