日本一の奇跡、清流仁淀川。そして悲運の武将、武田勝頼が眠る地を巡る旅の駅

観光ガイドと地味噌うどんの店

うどん茶屋かつより

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0889-20-2003

営業時間 午前9:00~午後9:00

定休日  日曜祝日・12/29~1/3

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◆その壱 勝頼の生誕

 勝頼の父・武田信玄(たけだしんげん)は、源氏の棟梁である源義家の弟、新羅三郎義光を祖とする武家の名門の生まれであり、また、母・諏訪姫(すわひめ)は、諏訪氏であり、諏訪大社の大祝(おおほふり)の一族である。大祝とは諏訪明神の化身、現人神として諏訪大社の神職の頂点に位置していた役職であり、諏訪氏の諏訪頼重は、武田信玄によって滅亡させられるが、その娘である諏訪姫に惚れ込み側室としている。

 類い希なる勇将である武田勝頼(たけだかつより)は、天文15年(1546年)に父・武田信玄、母・諏訪姫との間に誕生し、信玄の4番目の子という事で名を「四郎」と名付けられた。そして「四郎」(後の勝頼)の誕生により、諏訪家の存続が約束されたのである。永録5年(1562年)に父の寵愛を受けていた武田勝頼は17歳で元服し、諏訪氏を継ぎ高遠城主となり、この頃「諏訪四郎」と名乗った。