日本一の奇跡、清流仁淀川。そして悲運の武将、武田勝頼が眠る地を巡る旅の駅

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0889-20-2003

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◆その弐 勝頼の初陣

 勝頼は、永禄6年(1563年)、18歳での上野攻略で華々しい初陣を飾る。

 永録8年(1565年) 11月織田信長の姪であり養女遠山氏と結婚する。

 永録10年(1567年)の10月に兄・義信が幽閉先(信玄暗殺の謀反に関わったことで幽閉)の東光寺にて死去、その後に武田信玄は勝頼(諏訪四郎)を後継ぎにと考える。11月に御曹司・信勝(のぶかつ)が誕生するが、母(織田信長の姪)は難産の為死亡。慌てた織田信長は武田信玄の娘と自分の嫡男の婚約を願い出ているが、両家の関係悪化により、破談となる。武田信勝であるが、信玄はそれを祝い、武田氏と信長の血をひく信勝を後継ぎと定めて、勝頼は16歳になるまでの後見を命じられる。

 勝頼が正式な後嗣とならなかったのは、諏訪氏の名跡を継いでおり、また織田氏との関係、父である信玄を神格化して勝頼を同格と見なさない家臣団をも考慮してのものであった。だが、勝頼を正式な後継者としていなかった事が、後に家臣団の更なる不和を招く事となってしまう。

 元亀2年(1571)の3月頃に勝頼(諏訪四郎)は高遠城を出て、甲府に戻り『武田四郎勝頼』として父の帷幕に列席する様になる。