日本一の奇跡、清流仁淀川。そして悲運の武将、武田勝頼が眠る地を巡る旅の駅

観光ガイドと地味噌うどんの店

うどん茶屋かつより

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0889-20-2003

営業時間 午前9:00~午後9:00

定休日  日曜祝日・12/29~1/3

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◆武田勝頼の快進撃

 天正2年(1574)2月には、信玄の遺言を尊重する重臣の制止も振り切って出陣。東美濃の織田領に侵攻し、18もの支城を次々と攻略し明智城を落とした。織田信長は嫡男・織田信忠と共に明智城の援軍に出陣しようとしたが、それより前に勝頼が明智城を落としたため、信長は岐阜に撤退した。徳川家康の遠江では、信玄でさえも落とせなかった要害・高天神城を攻め落とし、東遠江をほぼ平定した。「高天神を制すものは遠江を制す」と言われた戦略上の重要拠点である。誰もが信玄の時代よりも強くなったと囁き、その全盛期を誇った。織田信長も「四郎は若輩に候といえども、信玄の掟を守り、表裏たるべくの条、油断の儀なく候」と評価された。