日本一の奇跡、清流仁淀川。そして悲運の武将、武田勝頼が眠る地を巡る旅の駅

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0889-20-2003

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横畠左馬助貞秀:雅楽(がらく)について

*武田信玄の弟の武田信繁→次男信豊が跡継ぎ→次男雅楽(代々左馬助を名乗る)

・左馬助=武田信豊(勝頼の従兄弟)その子長男法輝・次男雅楽(がらく)も左馬助を使ったと考えられる。
*勝頼は娘を穴山氏の子息に嫁がす約束を破り、信豊の子雅楽に嫁がした事が穴山氏の武田家離反を招いたとか。
・武田信玄の甥(武田信豊)左馬助=?横畠左馬助?=法輝または雅楽?

*長宗我部地検帳(天正18年・1590年)から検索
・横畠左馬助は「黒岩古城(片岡氏の古城跡)詰門外小段共に」に居宅が有り実在の人物です。
長宗我部地検帳(天正18年)雅楽ががく→がらく、と読めば!
・雅楽について=安居土居村 ナカヤシキ    下ヤシキ荒 雅楽扣
        坂本村   カラク(雅楽)  キリ畑   名本分兵庫作
         〃     〃         〃   坂本分作大夫作
        イツチキ(西谷)池川名  イツチキヤシキ 名本分雅楽扣4筆あり)
         〃     〃       〃   下  〃権現九月九日神田中
        別枝村   佐賀野     下屋敷切畑  雅楽抱・作7筆
        霧窪村   イシクリ      〃    雅楽作
        佐川アヲサレノ村     神母ヤシキ   雅楽控
        〃 カイナノ村      中沢       〃 2筆

佐川町黒岩村の片岡氏の居城跡に住居を構えていた横畠左馬助が雅楽だった

*池川の安居土居・仁淀別枝村・佐川アヲサレノ村に有る雅楽の屋敷は全て扣地で空き家と成っている事、地検された(天正18年)この時代既に佐川に出ていたことになります。
 勝頼達と同時期に佐川に出て行き片岡氏と同盟関係が出来ていたのではないでしょうか、其れは長宗我部氏や香宗我部氏と共に行動していたことになり四国統一に貢献したと考えられる。
 外にも情報があります。それは徳島に一族の墓があり、今も末裔が居ることがブログで確認できるからです。

(注)*ゆす姫の夫・横畠左馬助は法輝か雅楽か?大発見***
∴ 雅楽は土佐安居に居していたが、勝頼の娘(ゆす姫)と添い元服して横畠左馬助貞秀となり、片岡氏の古城跡に居宅を持ち、土佐の長宗我部氏の一翼を担い四国制覇のため阿波に侵攻していた、関ヶ原後阿波の地に移ったと考えるか。もう一つの情報から信豊の長男は法輝・次男が雅楽、二人とも生きていた可能性が有ります。
・阿波には、長男の法輝?と次男の雅楽も末裔がいると言われていますが?
・地検帳調査では左馬助と左馬允が並んで屋敷や耕作地が有るのが確認できます。

檮(ゆす)姫の墓所

*勝頼の娘(ゆす姫)は横畠左馬助貞秀の室となり、文禄2年(1593)2月8日卒24才の若さで逝く!(勝頼の嫡男信勝は、安居土居庄屋池川善四郎源森信の三女を娶る)
法名・逝徳院殿慈月順光禅定尼
C系図:横畠栂の森畑の縁に立ちし岩あり此の所岩の東馬骨石を印し立ちて有り(暗号)
*「がらく」の呼び名は(がらく)で正しい様です。
場所について:安居・池川大平・吾北柳野の山の上で安居字ヨツ石
二つの特徴のあるストーン、パワーを感じさせるこの石、なぜヨツ石なのか?      
但馬守(玄蕃)の叫び声が一里四方まで届いたと言う「呼び石」伝説!!

地名のヨツイシ+伝説のヨビイシ=ヨツビシ=四菱

* 四割菱ではないか?武田の家紋(此の石、菱の面が特徴)
・私の探している「雅楽(がらく)」武田信豊の次男と関係ありそう。
*横畠左馬助について、 
長宗我部地検帳(天正18年・1590年)から検索
横畠左馬助は「黒岩古城(片岡氏の古城跡)詰門外小段共に」に居宅が有り実在の人物です。
・左馬助=武田信豊(勝頼の従兄弟)その子雅楽(がらく)も左馬助を使ったと考えられる。
*勝頼は娘を穴山氏の子息に嫁がす約束を破り、信豊の子雅楽に嫁がした事が穴山氏の武田家離反を招いたとか。
・今回調査の大正時代の古文書:荒久・唐九・唐岩・柄岩などで書かれていた。